シアトル

とうとう十年間ぐらいやているゲームの開発者のビルに行きました。その日は土曜日だって、閉まっていてけど、まだ入るのはダメでしょ。ツアーがすることは許さない。しかし、入らなかったけど、中学生頃からそこに行きたかった。ついにそこに行くのは素晴らしかった*1

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シアトルに旅行して楽しみました。長い時にシアトルに行きたかった。一日中雨が振りました。悪いことと思ってけど、今カリフォルニア州に住んでいてから本当に雨が憧れる*2。楽しかった旅行だって、すぐ戻りたいんです。

*1:遂に(ついに)finally

*2:憧れる(あこがれる)to long for, to yearn for

とうとう週末

最近の二ヶ月間、会社のゲームを発売の準備するために毎日毎日働いていました。随分疲れていて、先週の月曜日全然出来なかった。何もやる気が減らしました。俺の日々は起きたり、会社でプログラミングしたり、帰ったり、夕食を食べたり、早く眠りました。生活や趣味がない感じでした。

「それはゲーム開発者の生活だ。」はい。これはゲーム開発者の生活だろう。ですが、俺はそんなに生きられない。週末は俺の日々です。それは大切の原則です*1

とうとう先週末に会社に行くのっ理由がありませんでした。とても嬉しかった。ゲームを発売しないですが、発売の準備を終了しました。

土曜日に用事をやった。「用事」じゃなくて、「やりたくて出来ること」の方が正しい。一番大好きなGuild Wars 2の最近発売したPath of Fireという拡張パックを終了しました*2。そして、その後で来月作ったキャラがマックス・レベルになった。その前まだ12回マックスレベルを出来たけど、今度はまだ有意な成果でした*3*4。本棚を買うために、昼寝しないで彼氏と一緒にIKEAへ行った。

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金曜日の発表したヴォルトロン第4期を全部見ました*5。短くてけど、大好きな番組だから、楽しかった。

日曜日は土曜日よりいろんなことをやらなかったけど、まだゲームをしたり、その夜のパーティーを準備しました。金曜日に同僚を家に招待して、日曜日の昼にピーザーを注文して、ケーキを作って、家を掃除ました。午後5時半にちょっとドキドキしていたけど、同僚が着いた後本当に楽しかった。

俺の週末は他人に面白くないだろう。俺の週末は俺さえ面白くないかも。しかし、月々に全週末が楽しられないから、リラックス出来るのは最高でした。

*1:原則(げんそく) principle, rule

*2:拡張パック(かくちょうパック)expansion pack

*3:有意(ゆうい)meaningful, significant

*4:成果(せいか)accomplishment, outcome

*5:第4期(だい4き)season four (of a show)

「もっと上手くなる」と言う

中学二年生にアメリカで日本語を勉強し始めました。その時から高校から卒業するまで日本語ばかり学びました。日本語の先生はとても優しくて、たくさんのことを教えてくれました。大学に入学して、入学から卒業するまで、ドイツ語だけ勉強しました。その間違えは他の時に説明するけど、伝えたいことは大学生ごろに、4年間全然日本語を勉強しなくて、練習しませんでした。

初めて他人と会う時に、「アレックさんは日本語が上手ですよ!」と聞かれたら、「いいえ、とんでもない」といつも答えます。本当に心から「いいえ、上手じゃない」と言います。まだ習うことが多いです。ペラペラの外国人になる前には、たくさんの一所懸命勉強している時間があります。そういうのを知っている。

しかし、何かを言うことと、何かを思うことは、とても違います。いつも「もっと上手くになりたい」と言ってけど、僕は本当にそう思っていますか?「いいえ、上手じゃない」と返事する時、本当に上手じゃないと思っていますか?僕はちょっとわがままな人です。お世辞を言ってもらう時に、本気の心で返事をしていたか?

最近に日本人と日本語の勉強する外国人向けのDiscordサーバに参加しました。ちょっと人気のサーバです。一千以上の人がいて、とても混んでいます。ですが、僕の能力以上の日本語を話せる人が多い。いつも「もっと上手じゃない」の僕はその名人を本当に尊敬しているんでしょうか?それとも、僕も名人だと伝えたいんでしょうか?僕の能力以上の人からもっと習わないままでそのサーバで喋っていますか?エゴティストの僕に、上手じゃないの指摘は怖いものですか?

外国語を習い方の記事によると、外国語を習うために赤ちゃんのようにその言語を習わなくてなりません。しかし、赤ちゃんのようというのは間違いって、名人に学ぶのは必要です。「もっと上手くなりたい」とか「いいえ、上手じゃない」と言ったら、本当に信じなければなりません。